噺みっつ ■ふたりの女 ある日、ある男のところにふたりの女がいきなり訪ねてきて男に言うことには、 「あんたは、どちらかを嫁にする権利、いやあ、義務がある」 だそうで、このままでは大魔法使いやら妖精やらになりかけていたその男、小躍りせんがばかりに、非常に喜んだそうな。 そして、こんな滅多にないどころか生まれてはじめての出来事を味わいつくそうと、 「そんなことを急に言われても決めようがないので、まずおふたりのことを色々話してみてくれ」 と提案し、じっくり吟味しつつ楽しもうと目論んだ、というわけで。 なるほど然り、と、女たち。 まずは私が、と、すらりとした面持ちの女は、 「一目お見かけしたその日からお慕い申し上げておりました」 と言うものの、それがいつのことなのかはついに言わず。 浮かれたままの男はそれならいいやと、今度は艶やかな色気の女に同じ問いを投げかけると、 「もう随分と昔のこと、困っていたところを助けていただきましたので」 と答える。 根っから不精なこの男、そんな憶えは微塵も無かったが、道を教えたことくらいはあるかと深く聞き返すことはしなかった。 調子に乗った男は、 「どっちも平等に愛人、ってわけにはいかないよね」 と、一応問うが、当然『それは嫌だ』と女たちは声を揃える。 そのあとも『どれだけ尽くせるか』『どちらがどれだけ好きか』など張り合いを続けるが、 「おあしならいくらでも出せるわ」 「どれだけ首を長くして待っていたか」 と、互いに譲らない。 夜も更けたことだし明日にしようと言ってもおさまりそうにないので、男は呆れつつも先に寝てしまった。 そして、うしみつどき。 まだ続く意地の張り合いに、男は目を覚ます。 しかし、はて、おかしい。声が遠い。 布団から抜け出し、居間へ出るが、そこには居ずに、外から声がしている。 「こりゃあ近所迷惑になっちまった」 と慌てて外に出ると、そこでは高女と轆轤首が互いの高さを張り合うかのように上に伸び、はるかな高さから言い争いの声が聞こえてきている。 男は、こりゃかなわん、と、布団に戻りガタガタと震えながら朝まで過ごした。 そして翌朝。 女たちは姿を消していたが、卓袱台の上には 「また今晩、伺います」 と、丁寧に二通の置手紙。 一目散に知恵者の和尚に助けを求めに寺へと駆け込む。 和尚に事情を話すと、 「なるほど然り」 と、苦笑し、 「率直にお前さんの苦労を語ればよい」 と言い、あとは笑うばかり。 そして家に戻り、夜。約束どおり現れたふたりの女。 「今日は俺の身の上を聞いてくれ」 と切り出すと、女たちは待ってましたとばかりに競って身を乗り出す。 「試験では足切りにあうし、仕事では首を切られるし、こんな男でもいいのかい?」 とたんに、ふたりの女は血相を変えて飛び出していったとさ。 ■ダイヤがもんだいや! 『時刻表にのってない汽車が走っている』 まだ汽車が珍しい時代の話、そんな偽汽車の噂が巷を賑わせていた。 男はその噂の駅を訪ねて曰く、 「時刻表の見間違いとか」 対応する駅員も、 「ありえませんな」 と、少々うんざり顔。 「整備のためにダイヤにはない運行をしたとか」 「ありえません」 駅員は、この質問を小出しにしてくる男にいつまで苛立ちを隠せるか自分でも疑問を感じ始めていた。 「新人運転手の練習とか」 「ないです」 「趣味で勝手に持ち出したとか」 「馬鹿にしとるんですか」 そんな様子を見て、車掌見習いの女子が茶を出す。 車掌見習いの女子にしても、ここは苦笑をこらえる練習とばかりに表情は笑顔を保ったまま。 「すると、本当に偽汽車ってことになりますかなあ」 間延びしながらも何か考えをめぐらすような物言い。 「当社としてはありえないと言うほかないですが」 「でも、事実、『見た』という証言は、ある」 男は手を開き、駅員を指し示しながら。 「証言があるのと、実際に走ったのとでは天と地の開きがありますな」 駅員は、ハンケチで額の汗を拭う。 「まあ、それはそうですが」 男はペンの尻を噛む。 「実際どうですかな、祭の神輿のような仕掛けで多人数で悪ふざけとか」 「何の得がありますか。それに大掛かりすぎて丸分かりです」 駅員、呆れ果てたという表情で。 それに気付いてか敢えて無視してか、 「ふうむ、なるほどねえ」 男はメモ帳に視線を移し、『つるにはまるまるむし』と書いた。インキは掠れている。 「まとめると、一切覚えがない、あるはずもない、確認もされてないし、できていない」 それまで取ったメモをペン先で確認しながら。 「方法はともかく、偽汽車が勝手に御宅の社の線路上を走っていて、事故でも起こそうものなら」 メモ帳から視線を上げて、 「責任問題、ですなあ」 試すように言葉尻で挑発する。 流石に駅員、血相を変え、 「その場合、責任問題とするか、弊社も被害者であるとするかならば、弊社は被害者になります」 ところが男は涼しい顔をしたもので、 「さて、世間はどう捉えますかな」 と、含み笑いをする。 「期待され注目を集めているぶんだけ、何かあってからでは急降下でしょうなあ、いろいろと」 男は出された茶を、口に含み、味わってから嚥下する。 「さすが今をときめく企業だ、上質の茶を使っている」 「ありがとうございます」 車掌見習いの女子が受け答え、駅員は苦虫を数匹噛み潰している。 「茶は上質ですが、お茶請はまだですかな?」 あまりに横柄な男の言い草に、流石に駅員もこらえきれずに不快を露にし声を荒げて言う。 「そもそも、あなた、本当にこんなことで記事を書くんですか?」 男はニヤリと笑って、言う。 「偽汽車なんて、偽記者で充分でしょう?」 ■おんがえし ある村で。 ある男が薬草や木の実を探しに山に分け入ったところ、怪我をした狐が苦しそうに横たわっていた。 男は暫し悩んだが、先程手に入れたばかりの薬草を狐に施し、手当てしてやったそうな。 それを大層恩義に感じた狐は、その男の家を探し出し、人間の女に化けて『恩返しがしたい。嫁になってもいい』と申し出た。 ところがその男、 「あなたのような都じみた女の人は助けた記憶がない」 といい、そして男手ひとつで子供を育てていることを告げ、 「こいつを一人前にするまでは無理なので、女盛りを無駄にすることはないだろう」 と、体よく追い返す。 数日は沈んでいた狐も、木の実やら川魚やらを採っては男の家にこっそり届けることにした。 最初のうちこそいぶかしんでいた男も、年月を重ねるにつれ、次第に狐に慣れてきたようで、調理した魚や肉を、軒先に皿に入れて置いておくまでになった。 そこで改めて狐は、女の姿に化けて恩返しを申し出た。 すると男は、 「またあんたかい、しつこい人だね。そこまで熱心なら仕方がない」 と、女が狐であることには気付かぬまま、住み込みで手伝いをすることを許した。 狐は喜び、昼は家事を、夜はそれまでどおり山や川へと働いた。 子供が成長し、畑作業もなんとかこなせるようになったころ、そんな子供の成長を喜びつつ、男は浮かない顔をすることが多くなった。 狐が心配になり質問しても、 「なんでもないよ、気のせいさ」 と言うばかり。 そして、日に日に男の表情は暗くなってゆく。そんな男の顔を見て、狐もまた気分が沈んでゆくのを感じていた。 ある日、狐はとうとう男を問い詰めることにした。 男はやがて、 「しょうがないね」 と意を決したように言うことには、実はこの男、狐が化けた姿で、この家の主人に助けられ、命を落とした主人への恩返しとして子供が一人前になるまで面倒をみていたのだ、と。 そして、もうその時期は終わるのだ、と告げ、狐の姿に戻ってみせた。そして、 「子供はもう立派になったが、おまえさんには何もしてやれなかった」 と、詫びる。 それならば、と女も狐の姿に戻り、 「似たもの同士でしたわね」 と、笑った。 そして、狐の心のように晴れ渡った空と、そこからこぼれる大粒の雨。 この村では、その家で祝い事がある年には必ずそんな不思議な雨が降るようになったそうな。 ある村の、狐の嫁入り縁起の話。 「噺みっつ」 栗野鱗・作 妖怪【高女・ろくろ首】【偽汽車】【狐の嫁入り】 戻る |