山に住まう女 山姥とは、悪のみの存在であるのか。 それを問いたい。 ■ その村には、たいそう働き者の女がおった。 大荷物を抱える婆がおれば進んで運ぶのを手伝い、畑仕事を見かければ自ずから作業を手伝い、年貢が収められない者には自分の作物を分け与える。それはそれは優しき女であった。 うら若きその女は村人が困っていれば、見えないところでも助けの手を差し伸べた。 ある男が飢えに苦しんで、米が欲しいと呟けば、枕元に米俵を。 ある女が病に苦しんで、薬草が欲しいと呟けば、ありったけの薬草を。 誰もそのものの正体を見ることはなかったが、誰もがその正体を想像できた。 村人はみな、女に感謝した。 せめてもの感謝の気持ちをと、村のみなで集めた作物を届けるために女の家を探したが、女の家は村になかった。みな頭をひねったが、女に助けられている以上深く追及することはなかった。 女は、来る日も、来る日も、村で働き続けた。 ある日、都から役人が蹄打ち鳴らす馬に乗りやって来た。 「この村は作物の状態が芳しくないにも関わらず年貢の滞納が無い。誇るべきことではあるが、このような状態が数か月も続いておる。水無月になってもだ」 役人は村の異変に薄々気づいていた。 田圃はひび割れ、家畜は痩せこけ、川の水も絶え絶えの村からは、何故か瑞々しい野菜、丸々太った豚、眼の澄みきった魚が納められた。この役人はそれを少しばかり怪しいと思ったのだ。 「御役人様、これらは我々が血肉を削って作物を納めた結果でございます。それを無碍に返されるとは、我々も悲しくございます」 悲哀に満ちた村長の言葉に、役人は渋々踵を返した。 「よかろう。貢ぎが不足せんことが良いことに変わりはない。ただ、幾月もこの様子が続いてるようであれば、嫌疑を掛けざるを得んことだけは申し付けておく」 そう言い残して、役人は都へと戻って行った。 村人は一時は安堵したが、直ぐに拭いきれぬ不安に襲われた。 このまま、あの心優しき女が不断に作物を与え続ければ、いつしか役人が異変に気づき、この村ごと支配されてしまうかもしれない。しかし女の手助けが無ければ、貢物の用意が儘ならず、結果切り捨てられてしまうのも事実。 村長は苦虫を噛み潰す様な思いで、決断した。 「この村を出て行っては、くれないか」 女はしばし驚いた表情を見せていたが、爺の表情を見、何かを察知したように肯いた。 「さすれば私は、この村に姿を見せぬよう、尽力します」 それ以来、あの、うら若き女の姿を、村で見ることはなかった。 おかしなことが起こった。 誰も知らぬ間に、至る所の民家に、作物が供えられているのだ。 村長は訝った。村が今飢餓に苦しんでいる以上、誰もこれほどの作物を収穫できるはずがない。誰の仕業であるかは、大方の予測がついていた。 何人も触れなければ、女も諦めて作物を回収するだろう。 そう踏んだ村人であったが、野菜、肉、米、その他の作物は日に日にその量を増してゆき、遂には貧困の村とは思えぬほど隠し切れない作物で覆われてしまった。 ある時、村の子どもがこう云った。 「村に作物をお供えした後、山に帰っていく女を見た。女はせめてもの礼として置かれてあった団子と茶をもらって帰って行った」 その話を聞いた村長は、早速自分の家にも“村人の望む団子と茶”を置いた。 そして、しばらくがたった。 「手土産をいただくのはひどく申し訳ないものですが、村の方の御厚意を無碍にすることはなりません」 女は香ばしくかおる団子と珍しい匂いのする茶を手に、山の奥へ歩を進めた。 女は山奥に住んでいた。他に誰も住まうことのない、山の奥、洞穴の中に居を構えていた。決して贅沢な暮らしではなかったが、山に住んで長い女にとっては、この上ない快適な空間であった。 「かわいいかわいい私の子のためにも、このあたたかい土産物は取っておきましょうね」 女には赤子がいた。まだ足元もおぼつかぬ稚児である。 「この子が七つに、なるまでは……」 女は子の腹をさすりながら、眠りについた。 暗がりであるはずの洞穴の中は、その日、煌々とした明かりが灯っていた。 女が、村に来なくなった。 明くる日、村が麓に位置する山で、山火事が起こった。 村人はみな口をそろえて「団子の燠火から火が出たんだろう」と言った。 都の役人もその言葉を耳にしたが、とうとう村人からその言葉の真意を知ることはなかった。 ■ やがて、 村は見てくれの通り、作物が枯れ、朽ち果て、誰もいなくなった。 馬を下りた役人は、山を見て疑念を感じた。 「山火事が起こってからと言うものの、この村はすぐに衰退した」 そう呟き、役人の男は自らの足で山の中へと踏み入った。 山火事の後処理がされておらず、ほとんど炭と化した山の中に、ぽっかりと一つ大きな洞穴があった。男が恐る恐る中を覗き込むと、そこには一人の赤子が弱々しい鳴き声を上げながら蹲っていた。 「なんと、嘆かわしい……」 男はすぐさま赤子に歩み寄り、そっと抱き上げた。赤子は息も絶え絶えになっていたが、まだ辛うじて生きているようであった。 「心配ない。お前はまだ生きる」 男は暗さに慣れた目で洞穴の中を見渡した。暗がりの穴の中にもかかわらず、そこには黄金の稲穂が軒を連ね、色とりどりの果実がたわわに揺れていた。木で拵えた檻の中では鳴き声も上げぬ鶏がうろつき、奥に流るる清流では川魚が元気よく飛び跳ねていた。男はたいそう驚いた。 「まさかお前は……お前が……あの村の作物を貢ぎ続けたとでも言うのか」 男は皮肉気に笑ったが、すぐにそうではないということに気付いた。 赤子のすぐそばにあった石が、石ではなく、人間の頭蓋であることに気付いたからである。赤子と同じほどの、小さな頭蓋。成長の度合いから見て、それが女性の者であることはすぐに気が行った。 「そうか……、何者かがこの洞穴で作物を育て、村を支えながら、赤子も育てたというのか。この頭蓋は、金にも勝る価値を持った頭蓋だな」 男は余った手で頭蓋を拾い上げ、軽く土を払った。 「心配ない。お主もわが家に祀ろう。この子も、わが家で大切に育てることを約束する」 優しき眼をして、男は言った。 「少しの間ではあるが、かの村に輝く時を与えた者──それを相応に受け継いだ名前を付けよう。わが坂田家に相応しい名。そうだな、」 少し頭を、捻った後。 「金時。お前の名前は、坂田金時だ」 ■ 山姥とは、悪のみの存在であるのか。 それを、問いたい。 ■参考 男が山仕事を終え、今日はこれが食べたい、あれが欲しい、と思いながら帰ると、家にはいつも望みの物が用意されていた。米櫃の米は使っても使っても減らなかった。ある日のこと、男は早く帰り、障子の破れ目から中をのぞく。部屋に白髪の山姥がいて、せっせと掃除をしていた。男が驚いて声をあげると、山姥は窓から外へ逃げて行った。以来、男の家は見る見るうちに衰えた。 ─高知県の伝承より(一般的には白水素女の物語) 山の奥に住む山んばは、時々、村に下りて、村人の仕事を手伝った。ある時、村の子供二人がわらび取りに出かけて行方不明になり、村人は「山んばに食われたのではないか」と疑う。何日か後、山んばが下りて来たので、村人は、毒入りの酒と、囲炉裏の燠火をくるんだ団子を、「土産だ」と言って与える。山んばは喜んで、山へ帰って行く。その夜、山火事が起こり、村人は「団子の燠火から火が出たんだろう」と話し合う。それ以来、山んばは現れなくなった。 ─長野県の伝承より(参考文献:松谷みよ子『日本の伝説』) 山姥が山を歩いていた時、急に産気づき、岩屋に入ってお産をした。ちょうど蕎麦をまく時期で、その日村人が山焼きをしたため、山姥は焼け死んでしまった。その後、村に災難が続いたので、村人は岩屋から山姥の頭骨を取り出して、祀った。 ─高知県の伝承より 相模の国・足柄山に、山姥とその子金太郎が住んでいた。金太郎は赤ん坊の時から力持ちで、八?九歳の頃には大きなまさかりを玩具にし、熊・鹿・猿たちと相撲ごっこをして遊んだ。源頼光の家来・碓井の貞光が金太郎を見込んで都へ連れて行き、武士とした。 ─童話「金太郎」より 「山に住まう女」 くろ・作 妖怪【山姥】 戻る |